10・2汚染水流出事故-院内集会・政府交渉

昨日参議院議員会館講堂にて、汚染水流出事故について、院内集会、汚染水国際署名の第一次の提出、政府交渉を行いました。150名のみなさんにご参加いただきました。ありがとうございました。

院内集会では、いわき市漁協久ノ浜支部の新妻さんに現役の一漁師の立場でお話いただきました。漁に出られずに、漁師たちは檻に入れられたライオン状態に置かれていること、試験操業がはじまるが、採れる魚種は限られており、8割方の魚を海に戻すことになるが、深いところからの底引きではほとんどの魚が死んでしまうこと、放射能計測の体制が整わず、全量の検査ができないことからも、時期尚早だと考えること、それでも、試験操業をしないと、浜の関連業者さんに補償がまわらず、補償の不備から、やらざるをえない事情があることなど、リアルな実状が話されました。何より、汚染水の意図的な放出に対しては、多くの漁業者が反対していると話され、交渉の場でも政府に対して、決して放出しないよう訴えられました。

愛媛、佐賀、新潟、浜岡の現地からも駆けつけられ、再稼働を止めようと力強いアピールがありました。

政府交渉の冒頭に、「再稼働・原発輸出どころではない!汚染水対策に集中を!」国際署名19,358筆を提出しました。国内から8964筆、海外からは113の国から10.394筆の署名が届きました。ありがとうございました。

政府交渉では、原子力規制庁3名(村田真一氏、下岡豊氏、田口達也氏)、経産省資源エネルギー庁原子力発電所事故収束対応室2名(山形宏之氏、竹永祥久氏)、水産庁2名の方と、質問事項に即してやりとりをしました。

◇タンクから漏れた300トンの汚染水に含まれていたストロンチウム90の量は広島原爆の半分のレベルに匹敵するものであることは認める
◇湾外への海水流出と放射能の観測は認めるが「影響は確認されていない」
◇意図的放出は関係省庁の確認が必要としながら東電の「勝手に雨水」は黙認?
◇タンクの移し替えはいつになるのか不明。次のタンクの耐用年数は無限??
◇国内外の叡智を集めると言いながら会議は相変わらず非公開
◇再稼働審査における汚染水対策についてはまだこれから検討

■汚染水流出事故の認識について
原子力規制庁は、300トンのタンク水の流出が広島原爆の半分のレベルであることは認めましたが、タンク水が外洋に流れた可能性については調査中、また、「完全にブロックされている」がウソであることについては、5/6号機の放水口からの放出とその先で放射能が検出されていることを認めながら、「影響は認められない」を繰り返していました。

■タンクの移送について
今回漏れを起こしたタンクを溶接型のタンクに移送する件について、資源エネ庁は、東電に検討させているというだけでした。これではいつになるかわかりません。また、溶接型の耐用年数については、「ありません」「無限に使えます」と。そんなタンクがあるのでしょうか?ますます信頼できません。

■魚の放射能測定について
水産庁からはストロンチウムも委託研究で測定しているとの回答がありました。
しかし非常に限られています。漁業者からは、全数の計測ができるように国として対応して欲しいとの訴えがありました。

■汚染水の意図的放出について
原子力規制庁は、田中委員長の意図はわからない、汚染水の放出は、関係省庁の了解が必要になっていると回答しました。ところが、東電がタンクまわりの放射能が計測された水を勝手に雨水ときめて放出してしまった件については、特に問題ではない口ぶりでした。また、エネ庁が主催する汚染水処理対策委員会の資料に「環境に問題のない海洋放出」とあることについて問い質しましたが、検討中というばかりでした。

■国の責任と体制について
汚染水対策について、国の責任者は誰かという問いに対して、エネ庁が、汚染水対策チームが発足しトップは経産大臣だと回答しました。具体的には汚染水処理対策委員会で検討し、技術公募も行うと。しかしこの委員会は、商業上の理由で、傍聴できず、議事禄も非公開となっています。公開を強く要求しましたが、エネ庁は要望は伝えますというだけでした。

■再稼働審査における汚染水流出事故の考慮について
原子力規制庁は、基本は炉心溶融といったことを起こさせないことだとしながら、格納容器から出てくる放射能を放水によって地面に落とす必要があることは認めました。ただし、海洋へ流出する放射能は汚染水とは違ってその分に限ると主張しました(しかし法的に、海洋への放射能放出抑制は、放水とは独立に規定されていることを後で確認しました)。
また、再稼働適合性審査の中で、決着していない重要な点がいくつかあることも確認しました。いま適合性審査で電力会社が示しているシルトフェンスの設置や土嚢といったものでは、汚染水事故を防ぐことはできないと我々は主張しました。

阪上 武