BNFL社の言いなりになっている関西電力

関西電力は、1999年の不正MOX燃料事件以来、品質管理データを故意にねつ造したBNFL社を追及しておらず、むしろ今も事件の真相を隠し通そうとしているBNFL社に協力しています。関西電力がこのままの姿勢を取り続けると、今後も福井県民の安全と健康が心配されます。

BNFL社は不正MOX燃料をイギリスへ返送することで、「すべてを水に流そう」としています。BNFL社不正MOX燃料事件、このままで良いのでしょうか?

高浜原発の燃料をサボタージュされても追及しない関西電力

BNFL社は品質管理データをねつ造しただけでなく、2000年2月には、社員が製造中の高浜の燃料棒にネジやコンクリートの破片などの異物を故意に混入させていたことが判明し、新聞紙上をにぎわせました。しかし、BNFL社はこの事件の真相を解明せず、今もそのことを放置しています。また、関西電力もBNFL社にこのことを追及する調査を要求していません。2002年6月27日に行われた関西電力第78回定時株主総会において、この問題について追求されても、取締役は回答を避けました。

責任追及どころかBNFL社の不正をもみ消しにまわった関西電力

MOX燃料のデータねつ造事件において、1999年10月20日に関西電力は「NIIは高浜4号機用燃料の一部のロットに不正燃料がある」という、イギリスの規制当局NII(核施設検査局)が抱いている疑義に関する報告をBNFL社から受けていたにもかかわらず、これを無視し、同年11月1日に「不正はない」とする最終報告書を発表していました。

また、翌年の2000年8月3日に開かれた市民との公開討論会の席上で、関西電力はBNFL社の依頼により、1996年スイスの原子力発電所で起こったMOX燃料の放射能漏れ事故の事実を隠していたことを認めています。同討論会で関西電力は、データねつ造事件について「不正があり得るという発想ができず、検査が不十分だった。しかし、環境にすぐに影響があるものではなく、安全性は保たれている」と、高浜町民をはじめ、福井県民の健康と安全を大切にする姿勢とは思えない発言をしています。

さらに、関西電力の不正事件に関する最終報告書(2000年6月14日)で関西電力が指摘した複数の異常についてBNFL社はいまだそのすべてを認めていません。しかし、「認めない」とするBNFL社に対し、関西電力は一切苦情を言っていません。

いまだ真相が暴かれていない1999年不正MOX燃料事件

1999年不正事件の真相はいまだ暴かれておりません。BNFL社は品質管理をめぐってデータの流用という不正を行っただけでなく、品質上合格できない燃料を合格させるよう故意に数値を操作し、燃料を合格させていた疑いも持たれています。でもBNFL社はこのさらなる悪質な行為を行っていた疑いに対して答えようとしません。市民のデータ分析により、この疑義をつきつけられたBNFL社は対応を避け、真相が議論されないようにか、隠し通しています。また関西電力もこの疑義にまともに対応しようとしてきませんでした。2002年度(平成14年)の株主総会の席上でこの問題について指摘されても、沈黙を守り、回答を一切せず、むしろBNFL社を守り通しています。

第三者機関によるBNFL社の評価

2年半前の2000年2月に発表された、英国核施設検査局(NII)の調査報告書には、「BNFL社のねつ造は1996年から行われ、組織的であった」と明記されています。

また、2000年6月22日に発表された、通産省の電気事業審議会基本政策部会による「BNFL社製MOX燃料データ不正問題検討委員会報告」では、BNFL社の品質保証体制の脆弱性を指摘し、「このような企業は原子力分野で事業を実施する資格がない」という結論が下されました。

不祥事となる要因は放置されたままです

不正MOX燃料のイギリスへの返送で「すべてを水に流そう」とするBNFL社と関西電力。このままの体質ではとうてい福井県民の安全と健康を守っていくことはできません。

二度と繰り返してはいけない不正事件。関西電力は本当に反省しているのでしょうか?

関西電力は、「地元をはじめ、周辺地域(関西を含む)の理解なしにはBNFL社との契約交渉を開始いたしません」とはっきり述べています(関西電力本社・エネルギー広報 2002年4月)。もし、関西電力がこの約束を破り、BNFL社と再契約の交渉に向けて見切り発車のようなことをしようとするなら、それは決して許されることではありません。今後も不祥事が続く要因になるでしょう。

以上

連絡先

グリーン・アクション
〒606-8203
京都市左京区田中関田町22-75-103
(代表:アイリーン・美緒子・スミス)
TEL: 075-701-7223
FAX: 075-702-1952